そろばん塾 池田先生の徒然草


日々の徒然を短文でつづります
by ikeda-88

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投資顧問

 先般、AIJ投資顧問が破綻した。連日、いろいろなところで騒がれている。
 さて。
 投資顧問というくらいだから、お金を預かって運用する会社なわけだ。
 この「お金を預かって運用する」ことほど難しいことはない。

 ボクは自分のお金を預かって運用しているが(意味は分かりますね)、
これまでの戦績は「2勝6敗」くらいか。

 ただ、運用失敗しても釈明などせず「運が悪かった」「時期がまずかった」
くらいの報告で済ませている。一般的には「あきらめる」と言われるやつだ。

 お金には魔力がある。ボクは当初親から24万円をもらって投資を
スタート。それからは自分が働いて得た資金のみを運用してきた。

 時間を経て大きくなったり小さくなったりする。ただ一貫しているのは
その全体像をきちんと把握できているところだ。自分のお金を預かって
運用している人に共通していることだ。

 「お金の魔力」とはこういうものだ。全体像が1000万だとする。
 その1割を運用、損したとすると、損失は100万。投資顧問が預かって
いた資産は2000億だそうだから。1割の損で200億だ。

 あなたが懸命に働いても200億は稼げないだろう。そんな金額を
「あ、1割、下がった」で消失してしまえるわけだ。これが魔力である。

 ボクら零細の投資家の場合、元の金額が少ないので5割くらい下がっても
平然としていられる。「全体像をきちんとつかんでいる」というのは
「上がってこれだけ」「下がってこれだけ」の把握が簡単だとも言える。

 投資顧問とボクら零細の投資家の一番大きな違いは。
 時間を味方につけることができる点だ。顧問会社は「いついつまでに
決済して損か儲けかを確定させ」なければならないが、零細投資家は
損になっていればただ単に「少し伸ばそう」で伸ばしてしまうだけだ。

 どんな団体もお金を集めた段階でお金の魔力にとりつかれる。
 お金を運用しているのではなく、振り回されてる、だけになる。
 「お金は集めると腐ってしまう」とも言えるかもしれない。
 ただ、会社で運用しても損することもあるし、個人で運用しても損
することはある。「だったらどうするんだ」の違いでしかないね。
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by ikeda-88 | 2012-03-30 07:31

聞こえない

 高校生のとき、留学先の先生が脱兎のごとく教室から出ていかれた
ことがある。ボクは驚いて「なにがあったんですか」と。

 先生は「二階の窓が外れて下に落ちた」。教室の横は排水路になって
おり、そこに落下したんだ。

 ボク 「いや、全く聞こえませんでした」。 先生 「注意していれば
聞こえるもんだよ」。

 たまにあのときのことを思い出すのだが、一つのことに集中している
ようで、いろんなところに気を配る。だから、日常にはないノイズに気が
つくことができたのかなと。

 ボクにも特技がある。
 よく紙でできた袋を触ることが多いのだが、中にお札が入っていると
触っただけで分かる。「あ、中にお札が入ってる」ってね。
 これ、周囲の人に「分かりますか」と尋ねるとみんな「分からない」らしい。

 ホッチキスがある。
 あれ、最後の一個を使うと少し違和感が残る。「あ、なくなったな」と
分かる。それを周りの人に言うと「分かるわけない」だって。

 人間には実に不思議な能力があるものだと思う。
 ボクの左手の親指は紙が一枚かどうか確実に判定することができる。
 一枚ではなく二枚なら、「あ、多い」と瞬時に分かる。

 知り合いから聞いた話だが、車会社にお勤めの人は車のエンジン音を
聞いただけで「あ、トランスミッションがおかしい」とか分かるそうだ。

 プロになるということは、だれもが聞き取れない音を聞き取れるように
なるということなのかもしれないね。聞こえないものが聞こえ、見えない
ものが見えるようになる。幽霊みたいだけど、プロっていうのはそういう
ことだと思う。
 あなたはほかの人が聞こえない音を感知したりできるだろうか。
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by ikeda-88 | 2012-03-29 07:38

そのうち

 ボクたちはつい「そのうちね」を口にしていないだろうか。で、そのうち
はやってこないこともちゃんと知っている。
 ボクはいつも言い聞かせてる。「すぐにやろう、すぐに」。それだけ
難しい課題だから、だろうね。

 つい先日、「そういえば源流を探してみたいって思っていたよな」
なんて思った。いつも登る城山に水が流れてる場所があるんだが、その
源流を見つけてみたいと思っていた。

 ただ、なんとなくいつも後回しにしていた。よって、その日、とうとう
決行することにした。なに、簡単だ。水が流れてくるところからそのまま
上流にあがればいい。およそ30メートルほど高度をかせぐと源流に
たどり着いた。降りるのが大変だったが。

 そして、昨日。よく行く料理屋さんで「知り合いがスタンドを開いた。
機会があれば寄ってほしい」と聞かされていたスタンドに出かけた。
 聞いて一週間しか経ってない。スタンドだが禁煙で、カラオケも置いてない。
 そもそもスタンドに立ち寄るのも何年ぶりだ。

 この料理屋さんからは「カクテルを出す店がある」とも聞いており、
さっそく出かけた。

 これらのことは思い立てばすぐに実施できる。「念願だった高級車を買う」
ほどの勇気は必要としない。お金はかかるが、節度を守れば大丈夫。

 ボクも呑んだ席などで「あー、はいはい、あれ、たくさんあるから
あげるよ」みたいな軽い約束をすることが多い。これらの約束、ほぼ
実行されることがない。

 ボクはそれらを「のどにささった魚の骨」のようにきちんと覚えておき、
実行しなければならないと、いつしか考えるようになった。
「いつかやる」「そのうちやる」は決してやってこないことを、みんな
知っているよね。たいしてお金がかからないことなら、すぐに取り組もう。
 つい、後回しにしてしまう考えがダメなわけよ。
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by ikeda-88 | 2012-03-28 06:55

名刺

 名刺の裏に500円玉をはりつけてやろうと考えたことがあった。
 結局、やらなかったけどね。

 名刺交換して、裏に500円あればちょっとうれしいかな、って。
 ただ、「こいつは出会いをお金で買うのか」みたいに思われる危険性
も考え、実際には一度もやってない。誤解を招きかねないのは確かだ。

 だれかと待ち合わせして食事しようとする。それだって費用は発生する。
 人との付き合いはとかくお金がかかるものだ。
 ボクの場合、ハガキも出すから、合計してみれば500円ではきかない
金額がかかってる。

 なぜ、500円かというと、神社でお守りなど買うと「ご縁があります
ように」なんて紙があり、5円玉がひもでつながれていたり、箱の底に
置かれていたりしたのを見て、だ。

 世界的にもコインに穴のあいたものは珍しいそうで、外国では5円が
重宝すると聞いたことがある。お金はマルを作って表現する。この穴が
それを表現しているとも言える。5円はご縁でもあり、すこぶる縁起の
いいお金なのだ。

 ただ、名刺に5円をはりつけても不気味に思われるだけだろう。よって
500円だと考えたわけだ。実施はしてないよ。
 「ご縁が続きますように」とでも書けばいいかもしれない。

 ま、名刺には純金でできたものもあるそうだから。今、金の価格は
はね上がっているから、すごく価値のある名刺だよね。ただ、実際に
名刺というのは純金ほどの価値がある、ときもある。
 純金の名刺を配る人もそんな気分なのかもしれない。「値千金」ってね。

 こんなことを書くと「じゃ池田さん、やれば」なんていう人が必ず
いるだろうけど。やっぱりやめとく。誤解されるのがオチだから。
 それより、500円はその方に差し上げるつもりで、なにかしてあげる
ことにしよう。これの方が正解だよね。
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by ikeda-88 | 2012-03-27 07:30

お祝い

 5年くらい前になるか。こんなことを思いついて取り組んだ。
 そのころボクはよく周囲の人たちにハガキを出していた。
 で、それらの方の誕生日にお祝いカードが届けば楽しいだろうなと。

 アメリカではグリーティングカードと呼ばれている。こちらは
ハガキではなくメッセージカードだ。それをハガキでやろうと考えたわけだ。
 で、結果はどうだったか。
 いやー、なかなか。これが難しい。

 まずハガキが誕生日に届くかどうかの問題。周囲の人たちの誕生日を
いかにして聞き出すか、の問題。そして、そもそも名簿に20人くらい
しか記載できなかったのだが、ここが一番の問題だった。

 グリーティングカードを差し出す相手が365人いるとする。
 であれば、毎日1つ仕上げればいいわけだが、20になると難しくなる。
 きちんと覚えておけないわけ。

 それに、知り合いの住所にしても会社の住所も多く、土日をはさむと
確認するのは出社したときになる。など、やってみると意外に難しかった。

 それに、そもそも友人であればまた別だが、ちょっとした知り合いくらいで
お祝いカードが届いてどれほどうれしいか、の問題もある。
 これは意外性も重要だが、誕生日を聞き出すときに、ほぼ内容が知られて
しまう危険性も高い。

 よって、すぐに取りやめにしてしまった。
 いろいろ思いつきはするが、うまくいかないものの方が圧倒的に多い。

 ボクは20代のころから「お金をかけずに、いかに感動を与えられるか」
がテーマになっていた。だって仕事の基本でしょ。
 この考えもそれにのっとっていた。

 もちろん、たくさんお金をかければいくらでも感動できる。だが、
お金って限りがあるし。ボクにもあまり持ち合わせはないし。

 あまりお金をかけずに感動してもらうには「場面設定」と「時間設定」
が大事になってくる。実行するタイミングと創意工夫だね。
 これからも取りやめになるものの方が多いと思うが積極的に取り組んで
いこうと思う。
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by ikeda-88 | 2012-03-26 08:28

他人

 実に不思議な力を感じたことがある。
 かなり前のことになるが、ある会社から「こういった趣旨でセミナー
を実施したい。ついては講師を探してくれないか」と頼まれた。

 「はーそうですか。それでは探してみましょう」と引き受けた。
 そのころ、ボクにはあまり知り合いもなく、最適な人が脳裏に
浮かんでこなかった。
 そこで、とりあえず自分の知り合いに「こんな人を探しているんですが」
と頼んでまわった。すると、何件か紹介があり。

 そのたびごとに、講師を紹介してきた。4年くらい引き受けたかな。
 講師の人にお願いするにあたって、食事を共にさせていただいたことも
多く、つまらない出費がかさむことにもなった。当初はそれを「つまらん
出費やなー」なんて思っていたが、逆に「こんな頼まれ事があるから、
こうして知らない人と今、こうして会ってメシを食ってるんだよな」
とも思うのだった。

 初めのうちは「つまらん用事を引き受けたもんだ」なんて思いもあったが、
自分の視界は広がるし、その分野にこんな人間がいることも分かる。
 話として聞くだけでは分からない効能みたいなことも分かってくる。
 なんでも「とりあえずやってみろ」と言える。

 きっとあなたが同じことを頼まれたなら「金、もらわないとやってられ
ないよ」かもしれない。ただ、ボクはこの頼まれ事を引き受けたことで、
いろいろな便宜を図っていただけたことも確か。それが目的ではなかったが。

 そして。
 他人からの頼まれ事で動くと断られてもちっとも心が動揺しないことが
分かった。「あー、すいません、今、忙しくて、そんな時間が取れない
んですよ」なんて返事もたくさん聞いたが、当事者であれば「忙しくて
なんてホントかいな。こっちの頼みが聞けないだけだろ」なんて思うの
だが、第三者からの要請なのでなんなく素通りしてしまう。

 これはとても意外な発見だった。自分のことで直接頼んで断られるのと全く
違った感覚になることを知った。これだけでもやってみた価値は十分にある。
 物事、頼まれたら「金になる、ならない」だけではなく、「自分に
要請があるということは、自分を見込んでくれたのかも」という視点は
あっていい。
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by ikeda-88 | 2012-03-23 07:33

スナメリ2

 ここは本州と九州の接点になる場所。大きな船がひっきりなしに目の前を
航行しています。
 初めのうちは「ほら、あの船の手前」とかだったのが、かなり手前に
あるブイになり、そのブイの手前に、そのスナメリがいると。

 「あー、今、二手に分かれました」「あそこにはたくさんいますね」
など、説明されるのですが、こちらとしては、眼前のなめらかな海が
ときに作り出す「波のいたずら」にしか感じられない。

 スナメリにはせびれがなく、シャチやその他のクジラのように一見
しては分からないんですね。海面からはうかがい知ることはできないんです。

 水族館の生物たちのようにガラスの向こうでたわむれてるわけではないので
確認するのが難しいのは当然かも。前日、テレビの取材が入ったそうですが、
撮影にはいたらなかったそうです。
 観察会の方によると「上げ潮になるとそうとう近くまで寄ってきますから
チャンスですよ」。

 とうとう。そのときは来た。
 これまで、こんな機会に何度か出くわしたが、結局、確認できず、が
ほとんどだった。この日は違った。

 「ほら、2頭が、あれは食事が済んで遊んでいますね」「右から左に
向かっています。いいですか、あのあたり、もうそろそろですよ」。
 浮上するタイミングまで分かるようだ。

 かすかに、海面に沈んでいたペットボトルが浮き上がった、がスナメリ
だった。しばらくすると、また案内があり。船の航跡のように、進行方向
を見つめていると、またペットボトルが反転、みたいな感じで。
 浜からはわずかに3・4メートルほどか。上げ潮のとき浜に最接近する
みたいだ。

 うーーーん。まさか滞在時間2時間あまりでここまで見学できるとは。
 しばらく眺めているとカモメたちが群がっている様子も分かるように。
 カモメたちはスナメリが追尾するエサを目がけて集まってくるそうで、
その下を観察することが大事なようだ。ギャラリーは常に20人ちかく。
 花火大会のようにそのときを待ち受ける、みんなそんな感じだったな。
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by ikeda-88 | 2012-03-21 07:25

スナメリ1

 スナメリって知ってますか。昨日、見てきました。あなたもいかが。
 一週間ばかり前、ラジオを聞いていると「浜からスナメリが見られる」と
放送していました。「スナメリかー、行ってみたいなー」と思い、
ネットにて探してみると。もともとは今の海響館なる水族館の先代水族館
があった浜に現れることを知りました。山口県下関です。

 浜は「関見台公園」なる名称がついていますが、ナビでは見つからない。
 よって「下関マリンホテル」を入れて出かけました。せっかくですので
このマリンホテルに立ち寄り湯させていただきました。
 スナメリもクジラで、世界で一番小さな種類だそうです。

 まさか、浜から見られるなんて、と思いながら目的地を目指しました。
 ボクはもともと「隠棲動物」、外国で「ヒドゥンアニマル」と呼ばれる
生物たちのことが好きで好きでたまらない人間。自然に暮らしていて、
ひょっこり人間たちに姿を見せる動物たちが、この日本にいるなんて。
 スナメリは隠棲動物ではありませんが。

 到着したのは午後2時半。広い駐車場に車をとめ、坂を上がると「浜辺
の広場」の標識。そこをくだると浜辺に出る。そこが見学スポット。

 このスナメリ、もともとは6年くらい前、海辺を散策する人たちが
見つけたようです。そして水族館に報告したりして、現在では連携して
観察会みたいなこともされてる様子。
 昨日も観察会の方がおられ、熱心に説明を受けました。

 しばらくすると観察会の方が「ほら、あそこ、いますよ。うわーーー、
すごい」なんて。「あのカモメがたくさんいるでしょう、あの下」などと
口にされるのですが、こちらはそのカモメすら見えない。
 観察会の方はデスクを置いて(簡単なもの)写真を展示して見せて
いただけます。いろいろな話も聞かせていただけます。2に続く。
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by ikeda-88 | 2012-03-21 07:21

実施

 先日、前々からの知り合いに誘われ例会に参加した。その後の打ち上げ
でのことだ。彼がしきりにボクがサンタになってプレゼントを配った
ことをほめてくれる。(かなり前のことなんだが)。
 で、いろいろ聞いてくる。

 「なぜ、やったのか」「やってみてどうだったか」「どんな問題が
発生したか」。ここで、つまりながらも返答できるかどうかが、現実に
それをやったかどうかの分かれ目になる。人は実施していないことを
さもやったことのように描写はできないもののようだ。ボクなんぞには
もっとできない。

 サンタさんになるのはもともとはテレビでやっていたから、だ。
 実施に当たってはいろいろな人に相談したが、ほぼ全ての方たちから
否定的な見解をいただいた。問題は発生しなかった。「うちのアパート
のほかの人たちにも配っていただけないか」は何件かあった。

 もともとは知り合いのお宅だけ尋ねたのだが、突然の訪問にも関わらず
みなさん、ウイスキーやらなにやら出され、「これを持ってかえれ、あれも」
といただき、出かける前より荷物が多くなったりした。
 ふと「わらしべ長者」を思い出す自分。

 この企画についてはだれにも具体的な相談はしていない。というか、
できない。「やってみてどうだったですか」の手本となる人がいないから。

 この辺りは保守的というのか、「とにかく新しいことはなんでもやって
みたい」と考える人は少ないようだ。当たり障りなく生きているんだな。
 やってみての結果だが、意外にみなさんの考えは当たらなかった。

 「警察に通報される」はいくつか聞かされたが、「なら、一晩ごやっかい
になろう」でおしまいだ。当人は冗談だったかもしれないが、聞かされた
こちらは真剣になって考えた。そばから観察する人はとても楽というわけだね。

 真実、実際にやったことにはどこかすごみというものがある。その話に
すごみがプラスされるわけだ。ここで断言しておこう。他人というものは
とりあえず反対するものだ。だから他人の話にてやるかやらないか決める
べきではない。
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by ikeda-88 | 2012-03-19 08:01

当たり前

 ゆうべ、ある男性とお話させていただきました。
 なんの話からそうなったか覚えていませんが。

 男性 「うちも年に一回、仕事でお付き合いのある方たちを囲んで
酒席をするんです。費用が10万円以上、かかるんですけどね。ただ、
このごろ、なにかやるのが当たり前になってきたみたいで」。

 男性 「(おい、次はいつやるんだ)とか軽く言われると、なにか
違うような気がするんですよね」。

 どんなことも始めたときはそれなりに意味や意義があるものでも、
いつか当たり前になり普通になる。「これはそもそもそういうものなんだ」。
 ボクもよく酒席の幹事をやるから分かるのだが、案外誘われて呑みに
来た人たちの心中は「わざわざ時間を作ってここに来ました」かもしれない。

 もちろん、それにも感謝(うーーん、自分にも当てはまるな)しなければ
ならないが、誘われた人たちも当たり前だととらえずに感謝することが大事だ。
 人はいつしかみんな当たり前になってしまう。

 かなり前のことになるが、ある女性と呑みに出かけたときのこと。
 「わたしは男性と呑みに行ってお金を払ったことはこれまで一度も
ありません」と言われ困ってしまった。「それはあなたの上司とか同じ会社
の同僚とかでしょ」。「オレは違うんだから」。

 当たり前の感覚はそれぞれ人によっても違う。
 そこのところはたくさんの人と接してみて、普通の当たり前を探るしか
ないかもしれない。

 その上で、当たり前だと感じているそのことを「おかしい」「ありがたい
ことだ」と感じなければならない。
 ボクはよく人から「池田さんはたくさんの人が集まってくれてありがたい
ですね」とか言われる。案外、自分ではそう思ってないんだけど。
 ハッとさせられる言葉ではあるな。
 「当たり前ではない」、それがなくなってみて初めて気づくのかもしれない。
 少し遅い気がするよね。
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by ikeda-88 | 2012-03-16 08:03